NEW YORK KITANO HOTEL
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12:33 10分遅れでニューヨークJFK空港に着陸。晴れ。
13:30 Immigration(入国審査)では指紋をとられ、多分顔(眼?)の写真を撮っていた。先日のニュースで、日本の空港でも指紋をとることに決めたといっていた。
Customs(税関)はスルーだ。荷物を引きながら数人の制服姿の係がいる前を通り、何処へ行けばいいのかと聞いた。「そこだ」というのでその前へ行ったらドアが開き、そこは外であった。我々はチェックの対象にもならないようだ。
14:10 タクシー乗り場を探す。乗り場にはタクシーが見当たらない。そこへ1人の男が近づいてきて「タクシーか」と聞く。
これまでは見知らぬ人から声を掛けられたら無視するか「No, thank you」で通してきた。これが海外での鉄則だ。それなのに何度も来たニューヨークに着いてホッとしたのか、心に隙が出来たようだ。つい相手の誘いに乗ってしまった。
「お前はラッキーだ。今日はタクシーもバスもストライキ中だ。俺がタクシーを持っているのでついて来い。ホテルはどこか?」
「KITANO HOTEL」と言うと、タクシー係の黒人女性と話しながらケイタイで誰かと話している。「KITANO HOTEL」という言葉が聞こえたし、タクシー係も頷いていたので、荷物を持った男の後について駐車場の方へ向かった。エレベータに乗り、降りたところは駐車場であった。おかしいと思い、タクシーはどこかと聞くと「あれだ」と普通の乗用車を指さした。明らかに白タクだ。
「あれはタクシーではない。イエローキャブはどこか」
と問いながら荷物を取り上げ、エレベータに戻った。今度はエレベータの中で別の男から
「バスがある」
と言われ、妻が
「ツアー、ツアーバス」
と言い返した。この一言に救われたようなものだ。
タクシー乗り場に戻ると、今度は乗り場に列が出来ていた。そこに並び、係に行き先を聞かれたが、マンハッタンならどこでも一律 $45(2人なら$49)だと教えてくれた。ホテルまでチップ込みで$55を支払った。ニューヨークもずい分良くなったものだ。空港の白タクは何とかならないものか。あのタクシー乗り場にいた明らかにタクシー係である黒人女性はグルなのだろうか。
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2007年8月13日(月) フランクフルト→ニューヨーク
LH400(B747)便はイギリスを越え、北大西洋上空に出た。
早速機内食が出てきた。丁度昼時である。それにしても量が多いのにはビックリだ。外国の機内食にしてはなかなかのものである。デザートの何と可愛らしい(小さい)ことか。


機内でアメリカ入国の書類に書き込みをする。持ち込み品のリストと値段の記入が大変だ。フライトアテンダントの世話になった。残ったユーロで買い物をし、コインは寄付(Donation)した。
アイスランド・レイキャヴィーク (Iceland Reykjavik)の南を通過し、やがて前方北にグリーンランド(Greenland)を見る。
(以下現地時間)
10:00 カナダ・ケベック(QUEBECK)州上空通過。
12:00 ニューヨーク(NEWYOORK)州上空に入る。眼下には雲海があり、時々雲の隙間から街が見える。
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とうとうヨーロッパ最後の日を迎えた。フランクフルトともお別れだ。ところで、これまでフランクフルトと書いてきたが、正式にはフランクフルト・アム・マイン (Frankfurt am Main)という。ドイツには、旧・東ドイツの側、ポーランドとの国境近くにもう一つの「フランクフルト」、フランクフルト・アン・デア・オーダー(直訳:オーデル川沿いのフランクフルトFrankfurt an der Oder)があるため、「アム・マイン(マイン川沿の)」を付して、フランクフルト・アム・マイン呼ぶ。(Wikipedia)
2007年8月13日(月) フランクフルト→ニューヨーク
5:30 起床
6:30 ホテルチェックアウト、タクシーで空港へ(€24)
7:00 LH400便 チェックイン
ヨーロッパ最後の空港なので、購入したみやげ物が入った荷物にタグを付けたまま税関へ行く。厳しいチェックがあるかと思っていたが、中身を確かめずに押印し荷物をSecurityに通してくれた。
税関の隣の税金払い戻しカウンターで手続きをする。ここでもあっけなくUSドルを戻してくれた。
8:00 ルフトハンザ・ラウンジへ。大混雑であった。
9:00 搭乗開始。何度もSecurity Checkを受ける。ヨーロッパ最後の空港であり、初めて出国印が押された。ヨーロッパはまさに一つの国だ。
9:30 搭乗。素晴らしいシートにほっとした。ニューヨークまでは約8時間のフライトだ。
フランクフルト空港は航空機の発着が激しく、離陸までに時間が掛かる。


窓から眺めていると、次々と大型機が降りてくる。その合間を縫って離陸の滑走路へと進む。何と降りてきた大型機の前を横切って行くのには恐怖を感じる(写真左)。
10:36 30分遅れで離陸。アムステルダムからイギリス方向へ向っている。間もなく北大西洋横断だ。
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リューデスハイム(Rüdesheim)で船を降りた。待っていたバスで夕食のレストランに向う。船に乗るために通った道をどんどん進む。予定のレストランはアスマンスハウゼンの方にあるのか。
19:00 小さな、わけの分らないレストランに入れられ夕食だ。バスに乗ったとき、夕食の案内があったが、ベジタブルなど定食は料金に含まれているがカツなどは別料金だと言っていた。カツを頼んであったが、まあまあ食べられた(€15)。
奥の席でガイドとドライバーが食事をしていた。店の係が盛んにサービスしていたが、持ちつ持たれつの関係か。あるいは役得か。客から見えないところでこっそりやって欲しいものだ。
帰国後ネットでこのレストランを探してみた。何と立派なホームページがあった。
20:30 帰路に着く。客を一組ずつホテルに降ろしながら行くので時間が掛かる。ホテルに着いた時は22時半になっていた。明日の朝は早起きだ。
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18:10~ ラインシュタイン城(Burg Reichenstein)
次に見えてきたのはラインシュタイン城である。「ラインの宝石」という名の城で、1200年頃からマインツ大司教管轄の裁判所となり、17世紀にフリードリッヒ・ヴィルヘルム4世により修復され、現在は個人の所有だそうだ。レストランもあるという。
アスマンスハウゼンの街に近づいた。船はここに停まるようだ。今度は上流から貨物船がやってきた。
アスマンスハウゼンに着いた。例のガイドさんが、大きな声で「ここで降りてはいけない」と叫んでいた。われわれの仲間の顔を全部覚えているのだろうか。妙に感心した。
アスマンスハウゼン(Assmannshausen)は鉱泉と葡萄畑と赤ワインが名物の街だそうだ。右側のドイツ式建物は、ヨーロピアンタイプのホテル、クローネ・アスマンスハウゼン[KRONE ASSMANNSHAUSEN (RUDHKRO)古城ホテル]である。
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船着場で暫らく待たされたが、ようやく大型の観光船に乗ることが出来た。船から見るライン河は大増水で、川原のベンチも脚まで水が来ていた。船は川上に向って進んでいく。だから、川下りではなく、川上りである。
バスの日本人客は4人家族とのことであった。船の上でいろいろ話をしたが、レンタカーでスペインを回ってきたそうだ。日本からの飛行機で家族全員の荷物が届かず、カメラの充電が出来ないのが残念だと言っていた。荷物紛失事故は思ったより頻繁に起っているようだ。
暫く船上からの景観を楽しもう。
17:35~
直ぐロルヒの対岸の美しい村落が見えてきた。左の丘の上にノッリヒ城址(Ruine Burg Nollig)が写っている。
その対岸、右岸前方に見えてきたのはニー
ダーハイムバッハ(Niederheimbach)の村落である(写真一番右)。その左端に見えるのはゾーネック城(Burg Sooneck)である。中世末期に火器の発達に伴い時代に取り残された下級貴族が盗賊となり、ここで通行商人を襲うなどして不当に利益を得ていたという。
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17:00~ バスは暫くして小さな街に止まった。バスを降りて、あたりを見て回った。河の水はお世辞にも美しいとは言えないが、流石に河を含めて景色は綺麗だ。道路を越える歩道橋の上から見た対岸は素晴らしかった。



大増水で岸辺が水に浸かっていた。川辺には美しい花が咲いていた。この街の名前が分からなかったが、道路沿いの看板に “Auf Wider Sehen LORCH” とあったので、ロルヒという町だと知った。ロルヒは、ライン河畔の最も古い町の一つである。
一方河を見ると、桟橋にKöln-Düsseldorferと書かれていた。スイス・アルプスから流れてきたライン河は、フランス、ドイツを通ってオランダから北海に流れ込む。この桟橋からケルン(Köln)、デュッセルドルフ(Düsseldorf)方面に向う船が出るようだ。
帰国後に見た旅行書によると、ライン河の見所はリューデスハイムからローレライまでの間で、ぶどう畑の丘陵に古城が次々と現れてくるライン観光の白眉だそうだ。例のとおり事前の準備はゼロである。撮った写真がどこなのか、旅行書やネットで見つけた写真と比べながらこの日誌を書いている。もう一度旅行をしている気分である。

折しもロルヒの街を列車が走って行った。どこへ行くのだろうか。デュッセルドルフ? もっと先?
対岸の村落(街)の後の丘にも古い塔が見えた。ラインディーバッハ(Rheindiebach)の街とフュルステンブルク城(Fürstenberg)である。Die Ruine Fürstenbergとあるから、これも廃墟か。
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16:19 リューデスハイム(Rüdesheim)に入る。リューデスハイムは観光客の人気が高いライン観光の中心地である。また、ワインの産地でもある。この日も写真のように観光客で溢れていた。
写真で分かるように左側のクルマは線路沿いにライン河の上流方向に走っている。真ん中がわれわれのバスが進む車線である。右端のクルマは駐車しているようだ。
この先渋滞が予想されるので、予定の所まで行かずに引き返すことになるかも知れないとくぎを刺される。渋滞は既に始まっている。
バスはライン河に沿って下って行くが、リューデスハイムを出てから40分、大渋滞に巻き込まれた。本来ならもっと先に行った所から船に乗るようだが、止むを得ず引き返すことになった。ライン河に沿って引き返すが、反対車線は大渋滞だ。
「ライン河はいつもこんなに汚れているのか」
と聞いてみた。
「いつもこんな色をしているよ」
「ずい分汚いね」
「ダニュブ河は奇麗か? 誰か知らないか?」
と、後の席から
「似たようなものだ。奇麗じゃあないよ」
「そうでしょう。今や揚子江と同じよ」
だって。
ダニューブ(英・仏 Danube)と聞こえたが、ドイツ語ならドナウ(Donau)である。
河の対岸には美しい村落が見える。流石に世界遺産の景色である。
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2007年8月12日(日)
15:00 ホテルでピックアップと聞いていたが、男性が迎えに来た。何と近くだから俺について来いと言う。数分の歩きで旅行会社へ。

「お前の彼女か」
と聞く。
「いや、ワイフだ」
というと、
「本当か」
と切りかえす。次の男性にも同じことを聞いていた。お愛想のつもりか。
「日本から来た」
と言うと、すかさず
と聞かれた。今、初めて会ったというと怪訝な顔をしていた。やがて後ろの方で
「日本から来た」
との男性の声に、
「今日はお前の仲間が多いな」
と笑いを誘っていた。「お前」と書いたが、「あなた」と言うような感じの女性ではないのだから仕方がない。
このガイドは陽気で元気がいいが、散々喋ったあと1人でリンゴをかじったり、水を飲んだりと行儀が悪い。客はほったらかしだ。
延々とブドウ畑が続く中で、ドイツのワインは最高だとお国自慢だ。フランスのワインはワインではない、たかだかシャンペンだとも強調していた。
今夜は素敵なレストランで食事をするが、食事代は旅行代に含まれている。いくつかのオプションがあるが、これらは別料金である。どうするかと一人ひとりに尋ねていた。試しに「カツ」(€15)を頼んだ。
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再び「シラー像」を見ながら先に進むと、今度は「ハイネ像」が見えてきた。ハイネ像の前のベンチで若い女性が一人、熱心にスケッチしていた。のどかな公園だが、危なくないのかなぁ。
ハインリッヒ・ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine、1797-1856)は、ドイツの著名な詩人、作家である。シューベルトの歌曲集「白鳥の歌」には、ハイネの詩による歌曲が取り入れられている。
またハイネは、ローレライ(Loreley) の歌の作詞でも知られている。「ローレライ」の作曲者はフリードリヒ・フィリップ・ジルヘル(Friedrich Philipp Silcher、1789-1860)で、近藤朔風が訳詩した。近藤朔風(1880-1915)は、「野なかの薔薇」「菩提樹」などの名訳でも知られている。
なじかは知らねど 心わびて
昔の伝説は そぞろ身にしむ
寂しく暮れ行く ラインの流れ
入り日に山々 赤く映える
何と懐かしい歌か。
午後からはライン河の船を楽しむ予定だが、果たしてローレライを見ることができるのだろうか。ローレライとはライン河の巾が急に狭まった所にそびえる大岩(Loreley Rock)のことであり、船の事故が多発する航行の難所であったことから「ローレライ伝説」が生まれた。
ローレライ伝説は、上述のようにローレライ付近が航行の難所であったことが、ローレライにたたずむ金色の櫛を持った美しい少女に船頭が魅せられると船が川の渦の中に飲み込まれてしまう、という魔女伝説に変化したものである。(Wikipedia)
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ハイネ像の先には「ベートーヴェン像」がある筈だが、引き返すことにした。カイザー通りを中央駅に向って歩き、ホテルに戻った。
12:00 ホテルでジュースと水で一休み。
12:30 ビスケットとピーナッツを軽くつまみ、書類の整理をする。ライン河からの帰りは遅くなるだろう。明日の朝は早い。
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どうしても「ゲーテ像」が気になって、カイザー通りの方へ戻った。通りがかった老夫婦に聞いてみたが、残念ながらドイツ語であり、この近くにある筈だとしか分からなかった。
妻は「どっかへ行ったのでしょう」と冷たいものだ。仕方なく諦めかけた時、後にあった看板に気が付きふと見上げた。何とそこには
「ゲーテは引っ越しました-ゲーテ像は修復のため移動しました。2007年8月、元通りにして新しいゲーテ広場に立て直します」
と書かれていた。妻もやっと納得してくれたようだ。まさにこの8月のことではないか。昨日、今日と「ゲーテ広場」の近くまで行ったのに残念なことをした。
やむを得ないので、1984年10月、出張時に訪れた時の「ゲーテ像」を載せておく。今はもっと綺麗に生まれ変わっていることだろう。
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かつて見たゲーテ像と再会するのを楽しみにぶらぶら歩く。


先ず三越の方へ向った。三越は日曜日は休みだ。昨日軽食を食べたホテル、シュタイゲンベルガー・フランクフルター・ホーフ(STEIGENBERGER FRANKFURTER HOF)の正面玄関の前に出た。思いもよらぬ豪華な門構えであった。泊まってみたいホテルである。
その向かいにベンツのビルがあった。ドイツといえば何と言ってもベンツ(Mercedes Benz)である。ゲーテ像はもう直ぐ近くだ。
ゲーテ像はカイザー通り(Kaiser street)に面して立っていた筈だ。だが、見当たらない。「この辺にあったのになぁ」とぶつぶつ言っていたら、妻から「どうせ思い違いでしょう」と全く信用されない。「もっと先じゃあないの」と言われ、公園の中を先へ進む。この先にはシラー像やハイネ像、ベートーヴェン像もある筈だ。
「シラー像」は直ぐ見つかった。
ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー(Johann Christoph Friedrich von Schiller、1759-1805)は、ドイツの詩人、歴史学者、劇作家、思想家であり、ゲーテと並ぶドイツ古典主義(Weimarer Klassik)の代表者である。『歓喜の歌(Ode an die Freude ) 』(1786)は、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」の原詞として知られる。
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